Artisans & More

2025/08/09 10:00

おいしさまで、あと一歩だった。

——「捨てられるジビエ」が語りかけるもの

鹿が一頭、静かに倒れた。
だがその命は、誰の口にも届かない。
肉は汚れ、処理施設には受け入れてもらえず、そのまま廃棄となる。
撃ち抜かれたのは「腹部」。
内臓が裂け、胃の内容物が肉に混じる。
その瞬間、その鹿は“食べもの”ではなくなった。

——もったいない、という言葉がある。


けれど、ここにあるのは「もったいない」だけでは語りきれない現実かもしれない。
それは、命が命として結ばれなかったという、静かな空白である。

食材になり損ねた命たち
日本では、毎年約70億円もの農作物がシカによって食い荒らされている(※1)。
そのたびに「駆除」は進むが、捕獲された個体のうち、ジビエとして活用されるのは2〜3割程度にすぎない(※2)。
残る多くは、「ジビエにできない個体」として処理施設に断られ、捨てられている。

たとえば——
・腹を撃たれて肉が汚染されている
・放血が適切に行われず、肉質が著しく低下している
・捕獲から搬入までの時間が長く、菌が増殖している

ほんの少しの“ズレ”が、命を「食材」から遠ざけてしまう。


だが、全国のジビエ処理施設を訪ねていると、もうひとつの風景に出会う。
それは、一頭一頭に向き合いながら丁寧に処理をする職人たちの姿。
「この個体は筋が強いから、火入れは工夫した方がいい」
「脂が少ないから、スモークには向く」
——そんな風に、まるで対話するように解体していた。

彼らは誰ひとり「もったいないから食べよう」とは言わなかった。
口々に語ったのは、
「こんなに美味しいものを、もっと多くの人に食べてほしい」というまっすぐな想いだった。


ジビエの味は、野生の呼吸に似ている

しっかり処理された鹿肉は、不思議なほど臭みがない。
香りは澄んでいて、どこか“冬の空気”を思わせる。
噛みしめると、しっとりとした鉄分のニュアンスのなかに、どこまでも透明なコクがある。

——赤身の奥に、山の呼吸が宿っている。

それは、雑に扱われた肉には絶対に宿らない味だ。
ただの肉ではない。
“どう獲られたか”が、“どんな味になるか”を決める。
つまり、味は仕留められたその瞬間から、すでに始まっている。

命と味、そのわずかな分かれ道

すべての捕獲が、食卓につながるとは限らない。
だが、つなげる努力を怠れば、野生動物の命はただの廃棄物となる。
それは、あまりに寂しい終わり方ではないか。

「おいしさまで、あと一歩だった」——
そんな命が、この国にはまだ、数え切れないほどある。

余韻
ジビエは、撃った瞬間には完成していない。
それは、“食べてもらえるまで”が命の物語だ。

処理の現場には、技術と同じくらい、静かな誠意がある。
その誠意を無駄にしないように。
味わう側にもまた、命の続き手としての役割があるのかもしれない。

参考文献
※1:農林水産省「令和5年度 野生鳥獣による農作物被害状況」より(シカによる農作物被害額:約70億円)
※2:農林水産省「野生鳥獣資源利用実態調査」より(シカの捕獲頭数のうちジビエ利用割合は約2~3割)

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