Artisans & More

2025/12/03 17:40

「初めてジビエ食べたのって、いつ?」


そう聞かれて、ちょっと困った。
なぜなら——わたしには、「ファーストジビエ」の記憶がないからだ。

ジビエの仕事をしている人間がそんなことでいいのか、と言われそうだけれど、本当に覚えていない。
思い出せるのは、「気づいたら、ジビエを食べていた」ということだけだ。

関西の田舎には、「ジビエ」という名前のないジビエがあった


わたしは関西の出身だ。
じいちゃんが、とにかくボタン鍋が大好きな人だった。

冬になると、祖父母の家の食卓には、時々当たり前みたいな顔をして猪肉の鍋が並ぶ。
大きな土鍋の真ん中に、牡丹の花みたいにぐるりと並べられた肉。
脂がついた部分が、炊いていくうちに透明になって、ぷるん、ぷるんと揺れる。

「今日は牡丹鍋やで」

じいちゃんが、少しうれしそうにそう言う。
それで「ああ、今日の夜ご飯は牡丹鍋なんや」と思う。
それだけだった。

そこに「ジビエ」というカタカナのラベルは、まったく貼られていなかった。

牛や豚や鶏と同じ、お肉の種類のひとつ。
畜肉かどうかという区別すらない。
晩ご飯のラインナップの中に、自然に紛れ込んでいる“山から来た肉”。

そんな感じだった。


「猪は脂を味わうお肉やで」


おじいちゃんは、よくこう言った。


子ども心に、「脂を食べるお肉」というフレーズは、ちょっとした呪文みたいだった。
白い脂身は、確かに口に入れると、舌の上でとろっと溶けて肉の脂なのにどこか甘くて幸せを感じられる味だった。
あの感覚は、今でもはっきり思い出せる。

でも、そのときのわたしはまだ、自分のことも、ジビエのことも、好きになりきれていない年頃だった。
「命を食べている」という実感よりも、「じいちゃんが好きな特別な肉を、なんとなく一緒に食べている」くらいの距離感。

関西だからといって全部の家庭がそうだとはもちろん思わない。
あとになってこの仕事をするようになってから、「子どもの頃から牡丹鍋なんて、ええ家やな」と言われて、
ああ、そういう“ちょっと特別な食卓”だったのかもしれないな、と気づいたくらいだ。


ジビエなのに、ジビエじゃなかった


よく、「ジビエって、食べる前はどんな先入観がありましたか?」と聞かれる。

正直にいうと——ない。
怖いとか、臭そうとか、ワイルドとか、そういうラベルのついた「ジビエ」を、わたしは食べてこなかった。

牡丹鍋は、祖父母の家の冬の定番メニューでありじいちゃんの好物。
鹿肉は、ちょっと背伸びして行ったフレンチレストランで出てきた「ちょっと洒落たお肉」。

どれも「ジビエ」ではなく、「今日はたまたま猪肉」「今日はたまたま鹿肉」だった。

ジビエという言葉で世界を切り分ける前に、
“山から来た肉”は、もうわたしの生活の中に紛れ込んでいたのだと思う。

だから、ArtisanNIPPONでジビエの商品を扱うようになってから、少し不思議な感覚があった。

世の中の多くの人にとって、ジビエは「初めて挑戦する特別な肉」なのに、
わたしにとってのジビエは、むしろ「名前のなかった懐かしい肉」だったからだ。


知りすぎてしまった、あとのジビエ


今になって振り返ると、あの頃の自分は贅沢だったな、と思う。

処理施設のことも知らない。
止め刺しも、血抜きも、温度管理も、衛生基準も知らない。
猟の現場も、獣害の現実も知らない。

ただただ、「今日は牡丹鍋なんだ」と言って、湯気の向こう側にある猪肉を頬張っていた。

いまは違う。
全国のジビエ処理加工施設を回って、職人さんたちの手つきや想い、想いからくる細部まで張り巡らされたこだわりを知った。
命を頂くという意味をあらためて理解した。
いい面だけではなくて、鳥獣被害の会議資料も読むし、農家さんが実際に受けている被害の話も聞く。

知りすぎてしまった分だけ、一口目の重さが変わった。


同じようにボタン鍋を目の前にしても、
「この猪は何を食べて育ち、どんな山を駆けて、どの施設を通ってここに来た肉なんだろう」
「この猪をさばいた人は、今日どんな顔で仕事を終えたんだろう」
つい、そんなことを考えてしまう。

「昔だったら何も考えずに食べられてたのにね」と言われることがある。
でも、それでいいのかもしれない、とも思う。

あの頃の「何も知らないおいしさ」と、
今の「知ってしまったうえでの、おいしさ」。

どちらもたぶん、本物だ。



ArtisanNIPPONの中の人として、あの日をもう一度並べてみる

ArtisanNIPPONのメンバーとして、「ジビエのコラムを書いてください」と言われたとき、
最初は正直、焦った。

みんなが期待している「初めてジビエを食べた衝撃体験」を、わたしは持っていない。
怖がりながら、でもちょっと期待を寄せながら一口目を食べて、「あれ、おいしいかも」と驚く、
あのわかりやすいドラマがないのだ。

でも、よく考えると——
ジビエが“特別な食べもの”として記憶される人もいれば、

わたしのように、“名前のない日常”として染み込んでいる人もいる。


どちらも、ジビエと人との、正直な関係だ。

そして今、ArtisanNIPPONで鹿肉や猪肉を扱う立場になってみて思うのは、
いつかこのコラムを読んでくれた誰かにとって、
わたしたちのジビエが「初ジビエ」になるかもしれない、ということだ。

あなたの「初ジビエ」は、
祖父母の家の鍋かもしれないし、
フレンチレストランの一皿かも
しれないし、
もしかしたら、ArtisanNIPPONから届く、猪のステーキかもしれない。

そのどれもが、ちゃんと「物語のはじまり」になる。

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