2026/02/07 20:00
ジビエを知る、いちばん近くて遠い場所
ジビエの世界を知る方法はいくらでもある。
本を読む。
料理人に聞く。
猟師に会う。
食べ比べる。
たしかに、どれも正しい。
それでも、わたしにとって
「いちばよく知れる場所」は、
やっぱり加工処理施設だった。
なぜなら、そこには“肉になる前の時間”があるからだ。

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正確に言うと、わたしは施設を「見に行っている」という感覚があまりない。
会いに行っている。
——そこにいる人に。
もちろん、設備も気になる。技術も見たい。
衛生管理も、温度帯も、工程も。
でも、それは二の次、三の次。
わたしが本当に確かめたいのは、たぶんこっちだ。
「この施設のお肉って、
どんな人が捌いてるんだろう?」
どんな想いで。どんな性格で。どんな癖で。
要するに、肉の向こう側にいる“人間”を見ている。
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面白いのは、そこに余計なロマンを盛らないところだと思う。
「職人さんが素敵だから尊い」
みたいな、キラキラした話にしない。
もっと、生々しい。人の性格って、仕事に出る。
几帳面さも、大胆さも、迷いも、こだわりも。
その当たり前のことを、ジビエは妙に、はっきり見せてくる。
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じゃあ、それは何に影響するのか。
「それって、味に影響するの?」
「結局、何に関係するの?」
そう聞かれると、わたしは少し遠くを見るみたいに答えてしまう。
「もちろん、味にも影響すると思う。
でも、それはちょっと遠い話で……」
遠い。
いい言葉だ。
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ジビエって、遠い。
山も遠い。手間も遠い。時間も遠い。覚悟も遠い。
でも、その“遠さ”こそが、たぶんいちばん近い。
肉の味を決めるのは、塩でも、胡椒でもなくて、その手前にある「人の気持ちの温度」だったりするから。
ジビエは、無添加の天然肉だ。
余計なもので、ごまかせない。
だからこそ、作り手の癖が、どうしても出る。
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——ところで、ジビエとは何なのか。
「ジビエ」とは、ただの珍しい肉じゃない。
きっとそれは、“誰が、どう扱ったか”まで含めて食べる肉なんだと思う。
会いに行けば行くほど、同じ「鹿肉」や「猪肉」でも、まるで別の食べものに感じてしまう。
「地方食材おすすめ」って、軽く言うけれど、本当におすすめしているのは土地じゃなくて、人なのかもしれない。
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食べる前に、もう始まっているごちそう
加工処理施設に行くと、わたしはただ「肉の味を確かめに行く」わけじゃない。
肉の背景を、
受け取りにいく。
だから帰ってきたとき、
「目がちょっと変わったね」
と言われることがある。
スーパーでパック肉を見ても、「これ、誰だろう」と思ってしまう。
……困る。
こちらはただ、晩ごはんを作りたいだけなのに。
でも、一度そうやって世界が少しズレてしまうと、もう元には戻れない。
そして、そのズレは、食卓をほんの少しだけ、豊かにする。
遠い話だったはずの“人”が、味のすぐ横に、座るようになる。
次にあなたがジビエを食べるとき、できれば一瞬だけでいい。
この肉を捌いた手の、持ち主の顔を想像してみてほしい。
その人の情熱や、想い、癖、技。
その瞬間、ジビエは「肉」から「物語」になる。
そして、物語になった肉は——
だいたい、ずるいくらい美味い。
